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落ち着いているつもりなのに【森博嗣】新連載「道草の道標」第10回

森博嗣 新連載エッセィ「道草の道標」第10回

 

【考えていることの全部は実現しない】

 

 長年ずっと対処しなかったわけでもない。不器用だし、非力だし、すぐ疲れるし、筋肉痛になるし、とにかく考えていることが、そのまま実行できない。しかし、その低性能のハードにつき合ってソフトを遅くすることはできなかった。ものを考えたり、あれこれ周囲を観察する目は、速く動かそうと思ってやっているのではない。意思でコントロールできないのだ。もう少しゆっくり考えよう、じっくりと見よう、とはいかない。これは試してみたけれど全然駄目だったので、早い時期に諦めた。

 そこで、考えたことの全部を実行するのは不可能だ、思いついたことを全部はできない、やりたいことの半分以下しか実現しない、そんな「悟り」に至った。そして、考えただけのこと、思いついただけのこと、やりたいことなどは、そのまま仕舞っておきましょう、となり、頭の片隅に押し込んでおくようになった。ちょうど、欲しくて買い求めたガラクタのおもちゃとか、作り始めて途中で投げ出した仕掛け品とかを、段ボール箱に入れて地下倉庫に保存しておくような感じである。捨てるようなことはしない。いつか役に立つかも、いつかまたやりたくなるかも、いつかできるようになるかも、と仕舞っておく。ときどき、「そういえば、これに似たものがあったな」「あれが今、使えるのではないか」と思い出し、倉庫を探し回る「発掘タイム」になるのである。

 商売や企業だとそうはいかないだろう。余計に生産してしまったら、困ったことになる。倉庫に保管するだけで経費がかかる。食べものなら、作りすぎた分は廃棄しなければならず、社会問題にもなる。だが、考えたこと、アイデア、計画、構想、イメージ、思想といったものは、場所を取らない。電子信号と同じ。これらを仕舞い込むエネルギィは比較的小さいし、もちろん、それが人間の頭の中であれば、僅かなデメリットしかない。それは、忘れてしまうという紛失だけ。べつに忘れても良い。忘れるようなアイデアは大したものではない。それに、一度忘れて出てこなくなっても、関連した条件や、それが役に立ちそうなとき、つまり、いざというときには思い出すものなのだ。

 そういう思いを何度もしたから、僕はアイデアをメモしたりしないし、そもそもメモできそうにないのが「発想」なのである。僕にとって、思考というのは文字化が難しい。だから、考えていることを文章に落とすような習慣がない。無理に文章にすることで失われるものの方が多い。ジャンク品や壊れたおもちゃを大事に保存しているのは、もしそれを完成させたら失われるものがあるような気がするからでもある。ものを完成させると、未完成のものが持っていた可能性の大部分が失われてしまうのだ。

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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